「2008 萩往還マラニック250km」半踏記
            
中野 淳一

2月の木津川で痛めた左足首がなかなか治らなかった。2月はずっと休養し、痛みが無くなったので「よし」と走ってみるとまた痛くなった。今、走らないと萩は走れない。走ると痛みが再発する。どうしたらいいのか?悶々とする毎日。

3月に、ふきこさんに誘われて榛原から美杉までの約60キロのマラニックに参加した。翌日、美杉のマラソン大会で10キロ走った後で、名張までの30キロを走って帰るという異常なマラニックだった。時々足首が痛んだがなんとか走り切った。ゆっくりだったら萩でも走れるかもしれない。少し望みが出てきた。完踏は無理かもしれないが大会には参加できそうだと思った。



そして、5月2日の瑠璃光寺。足がどこまで耐えられるか?不安な気持ちでスタートを待っていた。最低でも海湧、次は川尻を目標に。そこまで行けたら後は足と相談しながら行けるところまで。みんなと一緒にスタートラインに立てただけでも幸せだ。今年の萩をゆっくり楽しもう。

第3ウェーブでスタート。とにかく、ゆっくり行こうと決めていた。道路の凸凹に気を配り、足首に極力無理が来ないよう場所を選んで走った。山口駅前の信号待ちでふきこさんに置いて行かれる。本来ならペースを上げて追いつくのだが、今日は無理なのでマイペースを守る。1930分過ぎに上郷エイドに到着。ヘッドランプを取り出して装着。赤色点滅等もONにした。昨年と同じペースなのに前後を走る人の数が少ない。今年はみんなのペースが速いのか?

西寺のエイドには零時少し前に着いた。まだ昨年と同じペースを維持している。体の疲労度も昨年と同じくらいだ。自販機で水を一本買ってから出発。次の目標は豊田湖畔のエイドだ。山道に入り、勾配がきつくなって歩く時間と回数が増えてくる。立ち止まって、ふと空を見上げると一面星だらけ。傍を歩いていた人に「星がきれいですね」と声を掛けたが、無言で返事がない。無愛想なのか?疲れてしゃべりたくないのか?少し、心が寒くなった。

豊田湖近くの荒川橋付近で後ろから集団が追いついてきた。後ろを走っている人が、まだいたんだと少し安心する。昨年北村さん宅で一緒だったミッキーさんの姿もあった。最初は抑えて、後半に力を温存する作戦なのだろう。伴走者を引っ張るように力強い足どりでどんどん前へ行ってしまった。上り下りで足に無理があったのか、足首が少し痛み出した。走るのを控えて歩きにする。山本ボートの自販機前でおにぎりを食べている人がいた。西寺のコンビニでおにぎりを買っておいて時間節約のために豊田湖のエイドには寄らないらしい。

ガードマンの誘導で右折し、豊田湖エイドへ向かった。少し進むときれいな建物が目に入る。明るい室内へ入り、ホット一息ついた。食券を渡して、うどんとおにぎりをもらって空いている場所に座る。食欲は無かったが勿体ないので全部食べた。着いたときには、大勢の人でごった返していた食堂が、今は疎ら。空いた長椅子で寝ている人もいた。さっきからどうしようかと悩んでいた。足の具合を考えるとここで収容車を待つ方がいいのでは?いや、まだ早い。時間はある。行けるとこまで行きたい!海を見ずにリタイヤするのはいやだ。どうしようかと悩みながら外にでると収容車が停まっていた。誘われるように足が勝手にそちらへ向いてしまう。一瞬、スタッフに収容を頼もうとしたが、他の人と何か話をしていてタイミングを逸した。車の中には既に収容された人が無念な顔で座っている。やーめた。まだ時間はあるし、全部歩けばいいいし。スタート前に決めたとおり、行けるところまで行こう。

俵山温泉に着いたのは早朝の4時30分。サイダーがあったので一杯注いでもらった。一息ついてから出発したが、すぐに道に迷った。まっすぐ行くのか左に行くのか?左の方は幅広で新しい道。地図を見たがそんな道は無い。後ろから来た人と相談して結局左の道を選んだ。結果的には、同じ所へ出るが遠回り。正解は右の道らしい。

砂利ケ峠への上りに入る頃にはすっかり夜が明けていた。下りになってから足に負荷が来ないように気をつけてゆっくり走った。6時過ぎに、大坊エイドに到着。昨年に比べ、1時間の遅れだった。お腹が空いていた。トン汁を一杯御馳走になる。だしが美味しかったのでお汁だけお替りをした。完踏常連のクニさんの姿が目に入る。湯の口で何かにつまずいて前のめりに転倒し、胸を強打したとのこと。浅い呼吸しかできずに辛いと言っていた。それにしてもクニさんの歩きは速かった。隣の人は走っているのに、クニさんは歩き。無理して早足で歩いているようには見えない。でも、同じスピードで進んでいる。忍者走りなのか?

油谷大橋を渡る。橋の上から遠く広がる青い海をしばし眺める。海岸線をアップダウンの多い道がうねうねと続く。そこを曲がれば・・・と何度も裏切られながら、何とか海湧食道に着いた。740分だった。食券を渡してお粥定食を頼む。顔を洗い、椅子に座り、ここでボランティアをしているはずのくーさんの姿を探す。カウンターの向こうで忙しく動き回るくーさん。声を掛けて二言三言の言葉を交わす。知っている人の顔を見ると元気が出る。食べ終えて御馳走様とお礼を言って、食堂を出る。誘導のスタッフからごま入りのお菓子を頂いた。「ごまかし」と書いてある。これを食べて辛さをごまかしてくださいとのこと。駄洒落だが気持ちがうれしい。ありがとう。

昨年は、ここから俵島往復の道が一番辛かった。眠気で足に力が入らずふらふらしたのを思い出す。今年は眠気は無かったが、足が動かないのは同じだった。農協の分岐を過ぎた辺りで、竹上さんとすれ違う。今年も元気な走りに圧倒される。則国の分岐手前でビデオカメラを此方へ向けて走って来る人がいた。今年はビデオを持って走りますと説明会で話していた越田さんだ。余裕で楽しみながら走っているように見えてうらやましい。もうすぐカメラが待っていますよと教えてくれた。確かに、女性がカメラを構えて座っている。ここだけは元気な姿でと歩きを止めて走り出す。それにしても長い時間強い日差しの中で御苦労さまです。

俵島へのコースは時計回りのコースを選択する。チェックポイントまでのだらだらと続く登り坂に喘ぐ。土地の人が道端で作業を止めて休憩中。うまそうにビールを飲んでいた。「いいなあ」と言ったら「ごめん。がんばって」の声。言葉は要らないビールをくださいと言いたかった。おばさんの車のところに到着。水を一杯頂いてチェックポイントを探す。「この坂をもう少し上ったところにあるよ。がんばって」とおばさんの励まし。俵島の見える眺めの良い場所にチェックポイントがあった。チェックを済ませそのまま先へ進む。一段と急な坂を上っていると足首がギクッと痛んだ。足首が熱く疼くようになってきた。そろそろ限界かな?

大浦漁港の辺りで前から走って来る人とすれ違う。まだ頑張っている人がいる。小生も、もう少し前へ進んでみようと思った。11時に農協に着く。昨年の時間からは35分の遅れだった。ここまで、ふきこさんと合わなかったということで彼女がかなり前にいることが分かった。昨年と比べると3時間くらい早いのではと驚く。農協の店でアイスモナカを買う。歩きながら食べられるものが良いですよと昨年くーさんに教えてもらったからだ。昨年は農協からペースを上げて、無事に完踏できた。足が動けば時間的にはまだまだ間に合うはず。しかし、今の足では歩くのが精一杯の状況。後はどこまで行けるか?足のダメージを診ながらどこでリタイヤするかの判断が大事だ。迷惑は掛けられない。

川尻食堂のカレー。後ろの方なので、ご飯の割にルーが少なかったが今年も美味しく食べられた。暑いし、気分転換もあってビールを一本飲んだ。のどが鳴って実にうまかった。周りを見ると大坊エイドからの同じ顔がいくつもあった。途中では前後していなくなるがエイドでは、また一緒になってしまう。早く走っても、ゆっくり歩いても結局あまり変わらないのが不思議だ。

畑峠から川尻魚港までの急な下りで足が悲鳴をあげた。ゆっくり歩いても着地のショックが足裏や膝に響く。あいたたーと悲鳴を上げながら、一歩一歩ゆっくりと海岸まで下りた。ここからは眺めの良い海岸線が続く。のんびり寝転がっていきたい気分だ。昨年立ち寄ったシーブリーズがあった。店を閉めてしまったのか人気が全くない。ここのテラスで白い砂浜と青い海を眺めながら冷たいビールが飲めたら最高なのに。残念。

三叉路を左折し、山道へ入る。立石観音までの道は小生を含む男性3人と女性1人が離れたり一緒になったりを繰り返す。言葉は無くみんな黙っている。きっと心の内には其々の思いがあって葛藤があるんだろう。立石観音の自販機では欲しい飲み物は全て売り切れていた。代わりに道端でおじさんが水で冷やした飲み物を売っていた。一本買って歩きながら飲む。足首の疼痛が強くなっている。腫れが出ているのかシューズの中の足が熱く感じる。そろそろ決断する時だった。今年は千畳敷をゴールにしようと決めた。

最後の千畳敷への上り道が変わっていた。何これは!と驚くような急な車道がどこまでも続いている。しかし、これが最後の上りと思い早足で歩く。千畳敷頂上で最後のチェックを入れた。時計は1530分を表示している。スペアの足があれば先へ進みたいが仕方がない。諦めよう。ここまで約125キロ。ちょうど半分の距離だから半踏の達成だと自分で勝手に祝福する。頂上のお店のテラスでクニさんがビールを飲んでいた。やはり強打した胸の痛みがひどくて、ここでリタイヤするとのこと。連続13回完踏の大ベテランでもこんなことがあるんだ。リタイヤ記念だと言って仲間が記念写真を撮っていたが、本人はきっと悔しい思いなんだろう。

 収容バスが宗頭に着いた。体育館で荷物を受け取り風呂に入る。夕食を終えて体育館に行くと何人かは既に毛布を敷いて寝ている。まだ、みんなが闘っていると思うと寝る気がしなかった。取りあえず毛布を敷いて寝場所を確保し外へ出る。酒屋さんの前で到着の人を迎えたり、出発する人を見送ったり、出発の人の荷物を体育館へ持っていったりと少し手伝いをした。

21時過ぎだったろうか?ふきこさんが到着した。眠いので1時頃まで寝ますと言って中へ入って行った。その後しばらく外にいたが、膝までの半ズボンしか無く、夜の寒さに耐えられなくなってきた。ふきこさんを見送ってから寝ようと思っていたのだが、体育館の毛布に包って体を温めていたらウトウトして、そのまま眠ってしまった。

朝、荷物の整理をしていると後ろで「なかのさん」と呼ぶ声。振り向くと、上野さんがいた。福井県からの参加は二人だけだったので上野さんには完踏して欲しかった。実力から言っても今頃は往還道を走っていると思っていたのだが。話を聞くと、前半から胃の調子が悪く、むかついて思うように食べられなかったらしい。21時台に宗頭に着いたのに前へ行く気力がなかったとのこと。リタイヤを決めるのは少し寝てからでもよかったのに。勿体ないと思ったが、その時の上野さんの体調がよほど悪かったのだろう。

瑠璃光寺で次々にゴールする人を見ていた。完踏の瞬間の表情がうらやましい。ふきこさんとひろっさんが一緒にゴールした。ひろっさんは3回目のダブル完踏。その強さは正に萩の神と呼ぶに相応しいと思う。もうすぐ18時。直線をすごい速さで走ってくる女性の顔に見覚えがあった。千畳敷でリタイヤした時に一緒に芝生に座っていた。リタイヤするのかなと思っていたら行けるとこまで行きますと言って出ていった人だ。諦めずに前へ進み続けた結果の完踏なのだ。もうすぐゴール。思わず拍手を送り、がんばれ!と叫んでしまう。

大会が来年から変わる可能性があるらしい。ひょっとしたら無くなるかも?いや無くなったら困る。250キロの常識外れの長い距離。昼夜を徹しての48時間。地図を読みながら、自分なりに工夫した装備で、そして自分の足で完踏を目指すこの大会が好きだ。昔に比べると参加者の意識、モラルが変ったという人が多い。道に残るペットボトル、空き缶、お菓子の包装。全部が参加者の残したものとは違うかもしれないが気になる。不便さに文句を言う人もいる。しかし、痒いところに手が届くような大会よりも多少不便でも自分で対応する大会があっていいと思う。エイドも少なくて良い。その方がありがたみが増す。感謝の気持ちが出る。不便だから参加する人が減っても良い。少ない参加者でも本当に萩が好きな人が気持よく走れれば良い。小生の偏見だろうか?どんな大会に生まれ変わるのかを楽しみに秋の案内を待ちたい。

以上

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