「2006 萩往還マラニック140km」
完踏記

2006.5/3〜5/4

                                      中野 淳一
いつ頃からだろうか?「萩往還」の言葉に特別な感情を持つようになったのは。100キロの大会でも「萩往還」と書かれたTシャツを着て走る人を見ると普通のウルトラランナーとは違う空気を感じ、憧れの気持が湧いてくる。250キロを自分の足で、48時間以内に、定められたチェックポイントを通過した証拠(チェックシート)を持ってゴールした者が「完踏者」と呼ばれる。体力、気力、知力をバランス良く備えた者だけが250キロの完踏者に成り得ると考えている。自分の力はどの程度なのか?萩往還へ挑戦し、「完踏者」の一人になりたいとの思いが年々強くなっていた。しかし、出たいと思い始めてからも、毎年少しの躊躇から申し込みができなかった。「ひろっさん、ふきこさん」が参加するようになり、その完踏記を読んで参加への思いは益々強くなった。そして、ついに今年の参加を決意する。昨年の大会から250キロへの出走資格が厳しくなり、100キロ以上のウルトラ完走と本大会の140キロ出走が条件になった。残念だが、今年は140キロの部に出走し、来年の250キロ挑戦権の獲得を目指すことにする。今の実力、経験ではその方が無難かもしれない。


事前の走りこみは十分でなかった。言い訳になるが、寒波で天気が悪かったり、仕事で時間が取れなかったりで、2月100キロ、3月120キロ、4月210キロと極めて少ない。長距離走も直前の山岳マラニック(30キロ)だけだった。一番不安な夜間走に関しては全く練習できなかった。不安は山ほど有るが、ここまで来たらやるしかない。玉砕覚悟で5月3日の朝、一路山口へ向かう電車に乗った。


山口には11時過ぎに着いた。新緑が眩しく、心地よい風が吹く中を山口駅から受付のある瑠璃光寺へ向かってのんびり歩く。途中でお腹が空き、喫茶店に立ち寄ってランチを食べた。GWとあって窓の外には街を散策する観光客の姿が目につく。瑠璃光寺で受付を済ませ、荷物の置き場になっている洞春寺へ向かう。横になって眠っている人、コースのことを経験者に聞いている人など数人がいる程度だった。15時からの説明会まで時間がある。足が動くうちにお土産を買っておこうと思い、街の中へ出かけた。折角の連休に家族サービスもせずに自分だけ好きなことをしている負い目もあって、お土産は必須なのだ。


15時からの説明会で走路やチェックポイント等の注意事項を聞く。大会委員長の小野さんの熱い語りに感動した。流暢な喋りではないが、この大会への思い入れを強く感じる。この人無くして、この大会は存在しなかっただろうと思った。洞春寺へ戻るとかなりの人でごった返していた。着替えをして荷物を整理し外へ出た。ウェアはロングタイツに長袖シャツ、リュックの中にはカッパ兼防寒衣、タオル、ヘッドランプ、懐中電灯、予備電池、アンパンと自家製梅干、胃薬(ガスター10)、小銭と予備金少々を詰める。命より大切なチェックシートと地図はビニルケースに入れてリュックの中へ。


5時半頃にスタート地点の瑠璃光寺へ行く。79キロ地点(萩城跡)に預ける荷物を所定の場所に置いてスタート地点へ並んだ。第2ウェーブでのスタートが決まり、ストレッチをしていると石川県の小松市から参加の女性ランナー(橋場さん)に突然声を掛けられた。ゼッケンに県名が書かれているのでお隣の福井県ということが分かり声を掛けてきたようだ。橋場さんとはこの会話が縁で、この後70キロ過ぎまで一緒に走ることになる。


18時の第1ウェーブスタートから5分後、小生の萩往還がついにスタートした。練習不足を考えて、無理は禁物と少し遅いペースで走り出す。山口福祉センターに立ち寄って荷物を預ける人もいたが、面倒なので何も預けずに直進した。防府の英雲荘を折り返して戻って来るのだから、リュックは預けて身軽な装備で走った方が得だよと後で言われたがもう遅い。単調な国道を走り「しゃもじ」到着。ここでは食事ができるが、お腹はまだ空いていなかった。帰りに食べようかなと迷っていたら橋場さんが稲荷とお握りのパックを持ってきてくれた。ありがたく半分ずつ頂く。「しゃもじ」を出て少し急な上りの旧道を走る。峠を越えた後、国道へ下りずに道なりに進んでしまい、おかしな場所に出てしまった。幸い大きなロスは無かったが、こんなところで迷うようではと先が不安になってくる。


最初のチェックポイントの英雲荘(22.4キロ)に到着。パンチをしてもらった後トイレへ行く。少し前からお腹の調子がおかしかったので大きい方へ入ろうかと思ったが、いざとなると引っ込んでしまい、小だけにした。長崎ちゃんめんの交差点を左折して、しばらく走った頃から、またお腹がおかしくなってきた。道路の反対側にコンビニがあったので慌てて入り、トイレを借りた。しゃがみながらホッと一息。用を済ませて外に出ると橋場さんが待っていてくれた。帰りの「しゃもじ」では「うどん」を食べた。スタートしてから4時間が経過していた。気温も下がっているようで、焚き火が暖かく感じ、思わず手をかざしてしまう。「しゃもじ」を出て国道を黙々と走る。単調さのせいか橋場さんが眠くなってきたと言い出した。


12時前に山口福祉センター(43.3キロ)に戻って来た。中へ入ってお握りと味噌汁を頂く。部屋の中で腰を据えて食事をしている人が多く、夜中だというのに異様に賑やかな雰囲気だった。これからの峠越えに備えて先ずは腹ごしらえと言ったところだろうか。山道に備えて懐中電灯を取り出しておく。萩往還道では懐中電灯があった方が道標を見落とさないとふきこさんがアドバイスしてくれたのを思い出したのだ。防寒衣を着ていざ出発。天花橋を渡り、一の坂ダムを過ぎて少し走ると天花畑の萩往還道入り口に着いた。夜中なのに誘導の係員が往還道の方を案内してくれた。ありがたいことだ。ここから板堂峠を越えて舗装道へ下りるまでは全て歩いた。急勾配と足場の悪さからとても走る気にはなれなかった。「星がきれい」の声に空を見上げると満天の星空。北斗七星だけはすぐに分かったが後は知識不足で駄目だった。それでもこんなにきれいな星空を見たのは久し振りのことで歩きながら何度も空を見上げてしまった。


少し坂が緩くなり一息ついていると前から早足に下りて来る影が見えた。ヘッドランプが眩しくて顔は見えないが、一歩一歩しっかりとした足取りでこちらへ近づいて来た。通り過ぎてから背中をライトで照らすとA2までは読めたが下2桁がはっきり読めなかった。250キロのトップに違いない。もしや「ひろっさん」ではと思ったが声を掛けられずにそのまま通り過ぎた。「昨年250キロの後で70キロも完踏した人だよ」と後の方で誰かが話しているのが聞こえてきた。やはり「ひろっさん」だったと合点し、改めてその強さ凄さに感心した。


板堂峠から舗装道に下りたところでも誘導員が佐々並方面を示してくれた。舗装道の走りやすさと下りだったので軽快なピッチで足が動く。気温がかなり下がっているようで吐く息が白かった。前方に明かりが見えた。道路脇の農舎の中で数人が何か食べている。近づいてそれが美味しそうな蓬餅だと分かった。寒い真夜中にエイドを開いてくれるお婆さんに感謝しながらアンコ入りの蓬餅を味わった。美味かった。この後も調子は良かったが、橋場さんとの話に気を取られ、前を走っていたはずの数人のランナーを見失ってしまった。確か左へ入っていったように見えた。その辺を探したが道が見つからない。首切れ地蔵の所だとすると舗装道を走っても結局同じ所に出るはずだった。まあいいかとそのまま舗装道を走り次の交差点を左折し国道262号へ出た。予想どおり、すぐ先に萩往還道との合流点があり誘導員から「遠回りだよ」と声を掛けられた。


佐々並(58.4キロ)のエイドについたのは4日の2時50分頃だった。汗はそんなにかいていないので喉も渇かない。温かいお茶が嬉しかった。エイドを出るとすぐに萩往還道に入った。相変らず上りを歩き、下りはゆっくり走る(早歩き)が続く。その後も萩往還道を走ったり国道を走ったりを繰り返した。この区間の萩往還道では二度も道に迷ってしまった。行き止まりだったり、田んぼへ出てしまったり。いつどこで間違えたのか分からないのだから困る。  
 
新茶屋を過ぎて国道に出てしばらくは舗装道を走った。このまま舗装道を走りたい気分だったが釿切から再び往還道(一升谷)に入った。長い下りが続くが足元が不安で走れない。後半の落ち込みを考え時計が気になる。このペースいいのかと少し気が焦ってきた。長い一升谷を抜けて明木(67.7キロ)に着いたのは4時40分頃で、少し空が白み始めていた。距離的には約半分が過ぎたことになる。時間的に余裕があるのか?ないのか?初めてのことなので見当がつかないが、涼しいうちになるべく距離を消化しておきたかったので先を急いだ。明木を出て川沿いをしばらく走ると、山道へ入り急な上りになった。早足で上ろうとするが、橋場さんが少し足にきているのかついて来ない。明るくなってきたから先に行っても大丈夫だろうと思ったが、また、追いついて来たので山道を抜けるまでは一緒に行くことにした。


萩有料道路の料金所(71.3キロ)到着が5時半だった。完全に夜は明けていた。また、お腹がおかしくなったのでトイレに行く。時間が掛かりそうなので橋場さんには先に行ってもらった。トイレから出ると誰も居なかった。有料道路から萩往還道への入り口が心配だったが、真っ直ぐ進むと右側に下りる道が見つかった。涙松跡を過ぎ少し走った所で、自販機で飲み物を買っている橋場さんに追いついた。後半はお互い自分のペースでと思い、「お先に」と手を振りながら止まらないでそのまま走った。過去に出たレースのこと、練習のこと、家族のことなど走りながらいろんな話をした。前半戦を無理なく楽しく走れたのは彼女のおかげと感謝する。変電所を過ぎて跨線橋を渡り左折し萩城跡の方へ向かう。このあたりまで来ると走る人の間隔が離れ、前に数人、後に数人となり、完全に自分の意志で自分のペースをつくる状況になってきた。楽するも自分、追い込むのも自分。長く苦しい葛藤の時間が始まった。


玉江駅前で立ち止まり、ひょっとしたら「ふきこさん」がと思い250キロの人の来る方向を見るが誰の姿も見えない。多分先に行ったのだろうと諦めて走り出す。萩城跡(79キロ)に着いたのは6時20分だった。2番目のチェックポイントになるがエイドテントの方へ先に行ってしまい係員に「パンチを先に」と注意された。うっかり忘れるところで助かった。ここには着替えを置いてあった。暑くなりそうだったので半袖に着替えた。靴下も新しいものへ履き替えた。用済みの懐中電灯とヘッドランプ、予備電池を荷物袋へ入れて預ける。リュックが大分軽くなった。出発の身支度をしていると橋場さんが到着した。まだまだ元気そうだ。お互いの後半戦の粘りを誓い、先に出発する。


菊ヶ浜沿いの道から、これから向かう笠山が見える。随分と遠くにあるように見えた。萩焼会館を過ぎると笠山から戻って来る人とすれ違うようになった。140キロの人、250キロの人が交互に走ってくる。すれ違う度に「ご苦労さま」「お疲れさん」と互いに声を掛け合う。250キロの人は疲れて口を開きたくないだろうに、必ず声を返してくれる。頭が下がる思いがした。笠山への上りは急なので歩いた。広場の奥にある大きな木の下にチェックポイントがあり、三つ目のパンチを枠の中へ慎重に入れた。上ってきた坂を走り下りて右折し虎ヶ崎食堂へ向かう。虎ヶ崎までの海岸線は眺めが最高で海が澄んでいて素晴らしく綺麗だった。
 
8時33分に4つ目のチェックポイント虎ヶ崎(91.4キロ)に到着。ここでは食事ができるが余り食欲が無い。食堂の中ではみんながカレーを黙々と食べていた。長いこと迷っていたがカレーなら少しは食べられるだろうと思い、食券を渡して注文した。結果的に全部は食べられずご飯を半分残した。普段なら絶対残さないのにと申し訳なかった。お腹一杯で苦しくて急に走り出すと腹痛を起こしそうだったので歩いて前に進む。笠山をぐるりと回る遊歩道を抜けると舗装道に出た。どうやらお腹も落ち着いてきたのでゆっくり走り出す。越ヶ浜駅付近を過ぎた頃に前を走る人の帽子が目に留まった。今晩同宿予定の「やまさん」だった。一昨日の夕方から既に200キロ以上走っているため足取りはかなり疲れた様子。二言、三言言葉を交わして先に行く。「やまさん」の重そうなリュックが印象的だった。


萩焼会館前を左折し最終チェックポイントの東光寺前(99.7キロ)へ着いたのは9時55分。朦朧としていたのかチェック場所に気づかず通り過ぎ、道路を渡って寺の中へ入ろうとした。「ここだよ」と他の人に言われて少し恥ずかしかった。最後のパンチをチェックシートに入れる。東光寺から戻る途中で、再び「やまさん」に会う。足の痛さに耐えているのか苦悶する顔。しかし、しっかりした足取りで、ゆっくりだが着実に前へ進んでいる。完踏への強い執念を感じ、気軽に声を掛けられなかった。
 
262号線へ出る道で迷ってしまった。地図どおりに左へ進めばいいのに東光寺から、そのまま川へ向かって直進してしまった。川に出たら左折して橋を渡れば一緒だと判断したまでは良かったのだが、間違えて一本下流の橋を渡ってしまった。そこから幾ら走っても御許町交差点が見えてこない。焦ってウロウロしたら自分が何処にいるのか分からなくなってしまった。運悪く小生について来てしまった2人と一緒に、通りがかりのおばちゃんやガソリンスタンドの店員さんに尋ねたりしてやっと262号線へ出ることができた。時間が勿体無い。もっと地図で確認しなければと反省する。そのまま国道を走ると見覚えのある景色になってきた。ぐるりと市内を回り、朝に萩市へ入った地点まで還ってきたようだ。これからは往きの道をそのまま還るだけ。もう道に迷うことは無さそうと少し気が楽になった。
 
萩有料道路の休憩所に11時15分到着。道の駅なので観光客が大勢歩いていた。スタートから既に17時間以上過ぎている。残り距離は約28キロだから時間5キロで進んでも時間内にはゴールできそうだと取らぬ狸の皮算用。トイレに行った後、すぐに出発。駐車場の奥にある階段を上って萩往還道へ入る。山道が終わり舗装道へ出た辺りから心配していた眠気が出てきた。足が少し重くなった気がする。川沿いの道を歩きと走りを混ぜながら進み、何とか明木のエイド(110.7キロ)に到着する。完踏できるか少し心配になってきた。
 
明木のエイドを出発してすぐに横を走っていた人が「12時前に明木に着いたら完踏は間違いないらしいよ」と言った。時計は12時少し前。既に出発している小生の完踏は保障されたのかなと思ったが・・・。一升谷のダラダラとした長い上りと強くなってくる眠気で思うように足が前に出なくなってしまった。後から来る人にどんどん追い抜かれてしまう。何とか眠気を追い払おうと声を出したり、手を大きく振ったり、首を回したり。あの手この手を試みるが眠気は益々強くなる。一升谷の道をふらふら歩き続けて国道(釿切)に出た。国道へ出ると陽射しを強く感じ、体がだるくなってきた。ちょうど道路脇に自販機があった。コーラを飲めば少しはシャキッとするのではと思い小銭を入れてボタンを押したが反応なし。よく見ると炭酸系飲料は全て「売切れ」だった。がっくりして自販機の作る小さな日陰に入り座り込む。「嗚呼もう駄目だ」気持がリタイヤの方へ揺れ始めている。
 
リタイヤするにしても次のエイドまでは行かないと駄目だなと思い歩き出す。国道から再び萩往還道へ下りて新茶屋を過ぎ、落合あたりまで歩いたり立ち止まったりを繰り返しながら進む。思考力が低下していたのか、頭の中で次の佐々並エイドから瑠璃光寺までの距離を20キロ以上あると思い込んでいた。今のペースでは到底時間内にゴールはできない。潔く諦めようと、この時点で一度リタイヤを決めた。道の脇にあった休憩小屋へ入りシューズを脱いで木製の長椅子に横になる。何も要らない。とにかく、眠りたかった。
 
休憩小屋の横を走る人の話声で目が覚めた。どれ位眠っていたのだろうか?時計を見て15分程度の仮眠だと分かった。すっきりとした気分で眠気はどこかへ飛んでいた。小屋を出るとすぐに道は下りになり足が自然と動き出す。舗装道に出て少し走ると佐々並エイド(120.0キロ)に着いた。時計は2時45分頃だった。明木からの10キロ弱の距離を実に3時間近く要した計算になる。信じられないが事実だった。
 
エイド近くの自販機で待望のコーラを買ってテントの横にある車庫の中に座って飲んだ。さっきの仮眠で体は回復していたが距離と時間を考えると、ここから先へは進まない方がいいだろうと自分の心の内では既にリタイヤを決めていた。収容バスに乗るにはどうすればいいのかをエイドの人に尋ねようとした時だった。「残り14キロだよー!まだ時間はあるよ。みんながんばってー」とエイドのおばさんの声が響いた。残り14キロ?時計を見ると3時丁度。まだ行けるじゃないか!気持が先程までとは180度反転。ガバッと立ち上がり前へ前へと走り出した。おばさん、ありがとう。
 
残っている力を全て出し尽くさないと後悔する。板堂峠までは多少きつくても歩かないで走り切ろうと思った。往きに蓬餅を食べたお婆さんの休憩所では、お孫さんだろうか?男の子が「すみません。お餅は2分前に無くなりました」とみんなに謝っていた。「ありがとう。往きに食べたからいいよ」と言葉を掛けて峠へ急ぐ。最後の急な坂を終えると萩往還道への上り階段が見えた。係員が「お帰りなさい。ここを上れば後は下りだけ。がんばって」と声を掛けてくれた。階段を上り切り、前の人に「ここから残りどれ位掛かりますか?」と尋ねると「普通で1時間。ゆっくり歩いても2時間あれば大丈夫」と答えが返ってきた。時計は4時を少し回ったところ。転んで、けがさえしなければ時間内ゴールは絶対大丈夫と確信した。気持は既にゴール。萩往還道を小走りで駆け下りる。足場の悪いところは慎重に足を置いて転倒に注意した。天花畑で舗装道に出るとゴールまで残り3.5キロ。23時間前後がゴール時間になりそう。1分でも早くと最後に妙な意地が顔を出してピッチを上げた。
 
天花橋を渡り左折する。ゴールの瑠璃光寺が近づいた。前方に右折を誘導する係員が見えてきた。あの角を右に曲がれば残り直線250メートル。ゴールテープが待っている。リタイヤ寸前だったのが嘘のように元気が湧いてきた。行くぞーと気合を入れ直し右へ曲がる。遠くに人垣が見えた。「お帰りなさい。お疲れさん」の声にストライドが伸びる。ピッチを上げる。門の前の人垣をくぐり抜け瑠璃光寺の中へ。左へ緩くカーブするとゴールテープが見えた。両手を思い切り上げてゴールに飛び込む。諦めずに良かった。本当に良かった。


大会HPの記録発表では140キロの部申込者230名、出走者218名、完踏率63.8%で小生の成績は22時間58分7秒、126位での完踏だった。欲を言えばもう少し上位で、早い時間にゴールしたかった。しかし、途中の厳しい状況を思い起こすと完踏できたことを素直に喜ばないと罰があたる。今回の経験を来年の250キロへつなげたい。事前の練習、コースと装備の研究などやるべきことは多い。来年再び山口を訪れ、250キロのスタートラインに元気な姿で立つことを目標に、これからの一年をがんばろう。
                                            以上



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