琵琶湖一周マラニック 完走記
2006年12月23日〜24日 久保直樹

 その日の琵琶湖は、例年になく、暖かで穏やかな気候だった。
12月下旬、本来ならばどんより曇った空に、冷たい北風に雪が舞い、路面は凍るのが冬の琵琶湖。
こんな時期に、過酷な琵琶湖一周は計画しないものだ。
一周200q。コースは平坦で舗装道路。湖岸に沿って続く道路はドライブにはもってこいだと思う。
 
 しかし今回は、車ではなく、自分の足で走ろうという計画だ。普段、走ることがない人からすれば、はっきり言って馬鹿げたことで、物好きで、時間の無駄のように言われる。
でも走る人からすれば、単に通り過ぎるのではなく、じっくりと景色を眺めたり、自然を堪能する事に魅力があるように思う。
こういうと風流に聞こえるかもしれないが、実際は痛みや疲労、睡魔と戦いながらの強行軍となるはずだ。

 また、この距離は健康のため走る距離ではなく、なにかを成し遂げたいために敢えて挑戦する道のりだと思う。いわゆるウルトラランナーに、「なぜ走るのか?」と聞いたところで十人十色の答えだとは思うが、何か高尚な理由で走ることはないように思う。
 それだけにクレイジーなランナーたちの挑戦には、不思議な興味を持たざるを得なかった。
こうして書いている本人は、たかが一年ほどのキャリアしかないが、見事にはまってしまった。自分の能力とは別に、気持ちの部分で引かれたのかもしれない。

 いつかは琵琶湖1周、そんな事を思い始めたのは2006年の春。
いつもお世話になっている、地元京都のウルトラ先輩ご夫婦Iご夫妻から琵琶湖の話を聞いてからだった。
ご主人のHさんは大してこだわった風には感じなかったが、奥様のF子さんは何度か挑戦されていた。
ビギナーの私から見て、彼女は萩往還の250qを2回完踏されているし、場所は違っても行けない距離ではないし、条件的にも大丈夫なはず。
なのに挑戦してもなかなか、1周できないと言うのだ。
知り合いのランナーさんたちにも、かなり苦戦されたなどと聞いたことがあった。
「琵琶湖には何があるのだろう?」
漠然とした思いと、未知なるものへの興味が、話を聞くごとに、だんだんと育っていった。
そして初めて24時間走を経験した頃から、年内に琵琶湖を走ってみたいという気持ちがどんどん強くなっていった。
10月頃には、「いつにしますか?」と2人にせっつくようになり、あれこれ話しているうちに、この日にすると勝手に決め込んでしまった。決めた根拠はなかった。
 
 12月23日。とにかくこの日は、穏やかな天気だった。
風もなく、日差しも柔らか。おまけに年末の仕事はあらかた片づき、
気分的にも楽だった。
そんな暮れも押し迫った12月23日の朝、世間ではイブイブというらしいが、24日のクリスマスイブまで、存分に琵琶湖を走ってやろうとJR西大津駅に降り立った。
今回のコースは、JR西大津から時計回りで琵琶湖1周する。服装は、耳カバー付きのキャップ、長袖Tシャツにウインドブレーカー、ロングスパッツ、シューズはウエーブライダー8。
リュックにはTシャツの着替え1枚、レインコート上下、21枚の地図と食料、携帯電話、ライトと薬、お金など。
そして今回、近江今津から反時計回りで1周を目指すIご夫妻と、西大津まで応援ランされるブラインドランナーのK村さんが、同じ電車に乗り合わせていた。乗った車両が違ったため、ホームで一瞬だけ顔を合わせて分かれた。
お互い頑張って走っていると、この広い琵琶湖で2回だけ会えるということになる。
なぜ一緒に走らなかったか?不思議に思われるだろうが、結果的にはこれでよかったと思っている。Iご夫妻の配慮によるものだった。

 ともかく恵まれた条件の中、午前8時17分西大津から東に少し行き、国道161号線を北へ走り始める。旅の始まりである。
右手方向の、朝日で照らされた琵琶湖を眺めながら、ワクワクしながらゆっくりと進む。
際川、唐崎、阪本辺りで5q。気温は10度を超えているように感じた。師走で交通量が多い国道だが、気分良く走る。走る速度はキロ6分から7分くらい。
雄琴の温泉街を過ぎ、琵琶湖大橋の西詰、堅田まで13qほど一気に走ってきた。橋のたもとの大観覧車を見ながら、ちょっと観光気分を感じる。
 
 ここで早めに買いたい物があり、スーパーマーケットに立ち寄る。
実は、西大津の駅で降りた時、慌ててリフレクターライトを落として壊してしまった。あれがないと夜間には、トラックの多い道を走らないと行けないのでどうしても買っておきたかった。しかも100円均一で。10分ほど探したが、その店にはなかったようで、仕方なく店を後にする。
 
 気を取り直して、また北に向かって走り始める。相変わらずいい天気で、気温もさらに上がる。ウインドブレーカーではすでに暑く、
フルジップを全開にして走る。
堅田から小野、和邇(わに)、蓬莱までおよそ20q、凪いだ湖面を時折眺めながら、11時頃に到着した。

 蓬莱駅の少し手前のさぬきうどん屋で、昼食を取る。
何とも贅沢だが、元気なうちに店で暖かいものが食べたかった。注文はうどんとご飯。炭水化物ばかりにした。
20分ほど食事と休憩をして、また北へ向かって走り始める。蓬莱駅の手前の酒屋を右に、県道321号線に入り、浜辺の湖岸を走る。
写メールで撮影したりしながら、のんびりムード。
そこへF子さんからメールが入る。お互いの場所を送り合うとまもなく合流できそう。

 12時22分、近江舞子駅を過ぎたサイクリングロードで、1回目のご対面!みなさん元気いっぱいで、声を掛け合う。Iご夫妻パーティにはもうひとり、応援ランで地元滋賀県のYさんも走っておられた。数分間、お互いに励まし合って笑顔で別れた。
 仲間に会って元気をもらい、ちょっとペースを上げながら走り始める。ここまででおよそ30q。まだまだこれからである。
2qほど行ったコンビニで給水する。冬とはいえ暖かいので、予備に1本ペットボトルを、おにぎりなども買い足す。
実はこの先、数q先のコンビニを最後に、20qほど店がない。
足りなくなると困るので、重たいが我慢する。

 大津市から高島市に入り、琵琶湖の中に鳥居のある白髭神社を通り、高島の大溝港を過ぎて、161号線から右へ、県道304号線に入り湖岸沿いを走る。この辺りは美しい浜辺が続いていて、シーズンには多くの人でにぎわうところだが、いまは静か。貸し切り状態である。できるだけ湖岸沿いを選び、景色を楽しみながら走る。
この辺りでも、写メールを撮りながら快調に走る。

 午後3時前、新旭風車村に到着。およそ50q。道の駅には観光客の車がたくさん止まっていた。この辺りで、少し疲労を感じ始める。しかしまだ、4分の1。残り150qもある。遙かな道のりがまだ待ち受けていることを考え始める。この辺りは、2qほどのまっすぐな道が続き、見通しが良すぎる。余計に距離を感じる。ここまではあまり休んでいなかったが、休憩する回数が増えてきた。歩きながらおにぎりなどを食べて、体力の持続をはかる。3時35分、Iご夫妻たちの出発点、近江今津駅に到着。
F子さんにメールで知らせると、あちらは雄琴を過ぎたとのこと。順調のようで嬉しくなる。

 進路は間もなく県道54号線に変わり、大きなスーパーに入る。
まだリフレクターランプを買えていない。ここには100円均一の店があり、目当てのランプと電池を購入。それとマジックテープ付きの長いストラップも買った。実は、少し前からリュックの肩ひもが肩胛骨にあたるのがいやで、ビニール袋で肩ひも同士を結び、しのいでいた。しかし、購入したストラップは必要以上に長く、使いづらかった。仕方なく何重にもまいて使った。1OO円だけに贅沢は言えない。
そしてトイレで夜用の着替えをした。まだ寒くはなかったが、余裕のあるうちにレインコートの上下を着た。かっぱはかっぱでも、ゴアテックスで、狙いは防風なのである。以外と重宝した。

 装いも新たに走り出す前に、向かいのローソンでカップラーメンとおにぎりで夕食をとる。さすがにレインコートでフードコートは入りづらかった。
午後4時過ぎ、間もなく日が沈もうとしている。
前日の22日は冬至。1年で一番日の短い日。午後5時前には日が沈む。そして、長くて寒い夜が始まった。

 薄暮の頃、午後4時59分、マキノ町のサニービーチにさしかかる。およそ65q地点。水鳥たちが湖面を埋め尽くすほど集まっていた。白いからだが湖面に浮き上がって不気味に見えた。
ここでヘッドランプと、ハンドライトを取り出す。県道54号線から人気のない細い道に入って行った。
ここからの10qほどは、恐らく一番飛ばした。街灯すらない細い道、右には山が迫り、左には真っ暗闇な奥琵琶湖の湖岸。
時々通過する車は、恐ろしいスピードで何度も轢かれそうになった。
飛ばした理由は「怖かった」から。緊張の連続で、全く楽しめなかった区間だ。
漁港のある大浦の三叉路まで40分しか経っていなかった。
三叉路で、地図を確認。左に曲がってJR湖西線を越え、国道303に戻った。

 岩熊トンネル手前のパーキングエリアでトイレと給水を済ませ、ダラダラ登りの続く国道を走った。トンネルの手前で、県道512号線に入るところを、一本早く右に曲がり八田部(はたべ)の集落へ入ってしまった。およそ80q地点。ちょうどそこに、高校生2人がいたので、地図を見せて道を尋ねた。すると間違っていたことが分かり、行きかけると、「旧道には、よく熊が出るから行かない方がいい」と教えられた。
「え!この冬の寒さで熊!」と驚いたが、あまりに普通に、真面目に言われたので怖くなり、岩熊トンネルを通ることにした。
大きくて長いトンネルで、車の騒音と風圧にイライラした。
トンネルを抜け、2qほどにあったコンビニで給食と給水。
そろそろコンビニ食に飽き始める。何を食べたのか覚えていない。飲み物は眠気覚ましの缶コーヒー。およそ85q地点。

 地図を見ると今回の最北端に位置する。確かに一番寒かったが、それでも温度計は6度。
この時期としては暖かい。今回、穏やかな気候には助けられた。
 初めて南へ向かって走る。塩津港を通り、午後8時2分、藤ケ崎トンネルに入る。騒音と風圧の中、黙々とトンネルを走る。長いトンネルの最後、賤ヶ岳トンネルを抜けて国道8号線に出た。トンネル内での緊張がほどけてくる。ここまでで、およそ90q走った。

 しかしこの辺りから、身体に異変が起こり始める。
予定では8号線から大音(おと)の交差点を右へ、県道44号線を
進む予定が、なぜか通り越してしまう。曲がるポイントで、何度も地図を見て確認していながら、曲がらずにまっすぐ木之元インターチェンジまで進んだ。明らかに判断力が落ちていた。
そこでおかしいと気づき、近くのコンビニで道を尋ねると地図上でここがどこか示せないと言う。とにかく戻るしかないと思いながら、
ピザ風パンと、缶コーヒーを飲んでから、もと来た道を引き返した。
歩きながら地図を見て、やっと現在位置を確認でき、ほっとする。
そして大音の交差点まで戻り、南下し始めた。

 ここでおよそ93q地点。
安心して進もうとしたが、何かお腹の調子がおかしい。普段、あまりコーヒーを飲まないのに、気付け薬にと意識的に飲み過ぎたか?
しばらく歩きながら考えていたが、長浜目指して走り始めると、今度は右足の指が痛い。たまらずに縁石に腰掛け靴下を脱ぐと、人差し指に水ぶくれが出来ていた。これまでこんなことはなかったのに、
と思いながら、ジェルの着いた絆創膏を貼り、靴を履いて歩き始めた。

 大音の交差点から、17qほどで長浜だが、この道がどれほど長く感じたことか。痛みがあるので気分的にダメージを受け、走れる状況ではなくなっていた。ひとっこひとりいない余呉川沿いの田舎道を、とぼとぼと歩いた。車もまばらな寂しい道だった。
 
 と、そこへメールが届いた。京都の走るパーソナリティ、W林さんからの応援メールだった。すぐさま辛い現状を書いて送った。
嬉しかった。送信履歴を見ると午後10時4分で、長浜まであと5qとあるがまだまだ遠かったはず。この段階で、地図の位置が把握出来ていなかったようだ。
それでもメールで元気をもらい、少し走ったり、また歩いたりしながら長浜を目指した。

 いま思い返すと、とても複雑な心境だったような気がする。
まずひとつには、長浜には駅があると言うこと。潰れた状況で電車のある時間に着いてしまうと、乗ってしまうかもしれない。あと、旅館やホテルもたくさんある。体調が戻るまで、せめて仮眠でもした方がいいのではなどと、甘いことも考えてしまった。
それと、共に走ろうと頑張っているIご夫妻に、迷惑をかけるかもしれない。もし、私がどこかで行き倒れにでもなれば、きっとお二人は途中で止めてしまわれるだろう。
そんなことばかり考えながら、鬱々と進んだ。

 午前0時を過ぎた頃、長浜市内に到着。およそ110q地点。
ここでF子さんにメールを入れる。「お腹の調子が悪く、厳しい状況。
きれいな公衆便所があるので、中でしばらく休む」というもの。
まずはトイレで用を足して、中にあったベンチでうずくまった。
火の気のない建物は、想像以上に冷たく、寝るどころではなかったが、横になってじっとしていた。
メールの返事が来た。そのころIご夫妻はマイアミ浜に到着されたこと。そして、その後のメールを読んで、先に進む事に決めた。
「あとのことはあまり考えずに、歩きでも進めたらいいのですが。
あまり無理はいけませんが。心配です。とにかく向かいます。」
そうだ、歩けるのだから先に進もう。こうしてはいられない!

 きれいなトイレに別れを告げて、コンビニに向かって歩き始めた。
そして液体の胃腸薬を飲み、ミネラルウォーターを買って店を出た。
薬を飲むのは半年ぶりだった。
半年前、薬品の副作用が原因で、入院した経験があり、怖くてビタミン剤すら口に出来なくなっていた。しかし、そんなことは言っていられない。復活するまで歩き続けてやる!と決めた。
琵琶湖岸のさざなみ街道を黙々と歩いた。
深夜の琵琶湖は、湖西からの強烈な風が吹きつけ、体温をどんどん奪っていく。湖面は海のように波が立ち不気味な音を立てている。
そのうち眠気が襲ってきた。たまらず何度となく縁石に横になろうとするが、それは無理。トレーラーがひっきりなしに通り、風圧で飛ばされそうになる。ひとりで苦笑いしながら、また歩く。

 午前1時51分。長浜ドームの横まで到着。長浜から3qほど歩いたことになる。
ここから次の携帯の記録が、午前2時38分「歩いたり、ゆっくり走ったりしながら、米原まできました」とF子さんに送っている。
でも、それどの辺りだったのかは記憶にないが、彦根プリンスを眺めたことは覚えているからそうなのかもしれない。
次のメールは2時50分。「あと2qで彦根城」とあるから、それならつじつまが合うのだが。この頃の記憶は曖昧すぎて、我ながら信用できない。でも、水が飲めだしたことは覚えている。
もうひとつ覚えているのは、幻聴?
メールを待つあまり、着信音が耳から離れなくなった。
何度ポケットから取り出したかしれない。

 次の明確な記憶は、Iご夫妻との2度目の再会である。
時間は確か4時過ぎ、場所は彦根の中程だろうか?大した目印のない風の強く吹く道路だった。見通しの良い道路に、2つの灯りが揺れながら近づいてきた。お互いに笑顔になった。大声で話さないと、聞こえないほど強い風が吹いていた。お互いの辛いことを話したと思う。F子さんは、特に眠気が辛そうだった。
私は「頑張りましょう!」そればかり繰り返していたような気がする。お二人にお会いできたことで、たくさん元気をもらい、そこからしばらく走ることが出来た。ありがたかった。
それからお互いの健闘を讃え合い、ゴールを目指して前に向かって進んだ。

 そして恐らく1時間ほど、寒さと眠さと戦いながら、午前5時17分、彦根市の宇曽川(うそがわ)およそ130q地点を通過。
 午前7時11分、彦根市と東近江市の境にある愛知川(えちがわ)
に到着。河口で日の出を見た。およそ138q地点。写メールで撮って、W林さんに送った。誰かにメールを送ることで、自分の意識を保とうと思った。日の出と共に、元気になってきた。身体が本能的に起きようとするのだろうか?不思議だった。

 そこからすぐ近江八幡市に入り、コンビニで7時間ぶりに食事をした。おにぎりとみそ汁。お腹があったまった。カステラも買ったが、残しておいた。ここから長命寺まで、およそ10q。うねうね蛇行する湖岸道路を、登ったり下ったりしながら走った。
もうこの頃になると、続けて長くは走れなかった。走ったり歩いたり。10qの道を進むのに1時間半近くかかった。
もう焦る気持ちはなかった。

 すっかり日が高くなった午前9時半過ぎ、長命寺の階段下まで到着。800段以上の階段を登り始めた。
山の急斜面に、まっすぐ延びる階段は、段差がきつかった。観光客の方もちらほら見えて、久しぶりにのどかな雰囲気を味わった。
本格的な運動をする服装の私が、ご婦人の方に「きつい坂ですね」と声をかけられ「そうですね」と答えたが、「昨日から走っているので」とは言えなかった。数人の方と一緒だったせいか、楽に登れたような気がした。
休み休み登って、頂上に着いたのが午前10時6分。琵琶湖を見下ろしながらほっと一息。給水して、ほどなく下山し始めた。
麓へ降りたのは10時半ごろだっただろうか?
ここまでで、およそ150q。
以降、信じられないくらい調子が上がる。走り終わった後、F子さんも同じ事を言っておられた。思うに階段の上り下りが、ストレッチになったようで、疲れが取れたのか少しは走ることが出来た。

 次のポイントは、マイアミ浜。長命寺からおよそ10qだが、この辺りから長くて見通しの良い道路が続く。やがて遠くに琵琶湖大橋が見え始めた。最初は嬉しかったが、目的地が遙か彼方に見えているというのは、つらいものだ。いくら走っても、近づいた気がしなかった。気持ちを切らさずに、どう走ろうかと考えた。川が多い地域で、橋がたくさん架かっていたので、「次の橋まで頑張ろう作戦」にしてみた。この作戦では、橋まで止まらずに走れると、橋は歩いてもよいということにした。これが以外とうまくいき、12時18分に、マイアミ浜オートキャンプ場前に到着した。野洲市に入った。
残り40qとなった。久しぶりに残りの距離を意識した。
「フル1本やん」。馴染みのある距離になったことで、気持ちが幾分
楽になった。

 気候は、昨日より風はあるものの、天気は良く、気温もどんどん上がっていた。たぶん10度はあったと思う。
川幅の大きな野洲川を渡り、右手に琵琶湖、左手に冬枯れの田んぼを見ながらゆっくりと走る。
遠くに見えていた琵琶湖大橋が、だんだん近づいてきた。でも意識したくないので、わざと違うものばかり見るようにした。
大橋手前のコンビニでオレンジジュース、おにぎり、カステラも少し食べた。食べられると元気になれる。長く走るためには大切な事だと改めて実感した。

 午後1時15分、琵琶湖大橋を通過。遠くに大津の町並みが霞んで見えるようになる。距離を感じざるを得ない。それでも守山市に入った。そして、あと7qほどで草津市に着くはずだ。
今度は、琵琶湖博物館前にある大きな発電用の風車が見えてきた。かなり遠い。大きな建造物が嫌いになりそうだった。

 このころ何を考えていたのか、あまりよく覚えていない。ただ、24日の朝から多くなった独り言が、独り言ではなくなり、良く聞こえるほど大きくなったのを覚えている。明らかに、自分で自分に話しかけている大きさだった。励ましたり、讃えたり、けなしたり、
同情したり、なんとか自分を盛り上げようとしていたようだ。幸い人には出会うことはなく、見られることはなかったが。

 午後1時51分、草津市の烏丸半島前を通過。およそ174q地点。大きな風車を右手に見ながら、どんどん走る。驚いたのは走る速さ。琵琶湖大橋からここまでおよそ7qを36分で走ったが、これはキロ5分少々。
こんな速度で走る元気があったとは、あとで計算してみてびっくりした。自分で言うのもなんだが、確かによく走れていたので、自分で自分を褒めてあげた。またまたコンビニに立ち寄り、何か買って食べた。その時驚いたのは、5,000円近く持って出たのに、最後の千円札を使ったこと。「一体、どれだけ食べたんやろう?」。ちょっとへこんだ。マイナスに考えると、走りに影響すると思い、「これだけ食べられたらガス欠はない!」といい方に考えて走り始めた。

 ここから数qは真珠の養殖地が点在し、道路の両側が水面と言うところがある。そんな景色を楽しむのもつかの間、ここから10qほどで近江大橋だが、この辺りの土地勘がない私は、単調な道路に距離感が無くなり、ペースが乱れた。
しかもゴールは南西に見えているのに、南下するばかりで、ゴールからどんどん離れている錯覚に落ちた。
走る上で、気持ちがいかに大きいかを感じた。

 なんとか近江大橋を横目に見ながら、さらに南下。大津市に入った。
早くも夕方の景色に変わり始める。またライトを付けるのか!焦りが余計空回りして、走れなくなってくる。この辺りは、町中なので往来する人もたくさんいる。通行人をかわしながら走るようになり、煩わしさも増していた。そこには当たり前の日常があった。買い物途中の主婦、学校帰りの学生、商業車の割り込み、人混み、騒音。
意識が急に現実に戻されたような気がした。
残り20qを切っているのに、気持ちに余裕が無くなり始めた。

 なんとか歩かずに走りつづけ、午後4時27分、瀬田の唐橋を渡った。師走の混雑で、道路は渋滞していた。残りは12qほど。そこから石山寺を目指した。片道たった1qほどの寄り道が、めちゃくちゃ辛かった。ここまで来たのは、計画した地図のコースになっていたため。何だか無性にロスした気分だった。気持ちの余裕が無くなりかけていることを感じた。

 石山寺には午後4時44分到着。およそ190q。あと10q。
ここから暗くなったので、仕方なくヘッドランプを取り出して付ける。町中なので、街灯もあり、ヘッドランプだけで走る。
それでもだんだん、ゴールできる確信が沸いてきて、足取りも軽くなってくる。

 もうすっかり暗くなった頃、今度は近江大橋の西詰めを横目に大津市の中心街へ入っていく。におの浜の公共の文化施設を右手に、沿湖岸沿いをひたすら走る。
大きなデパートがいくつも見えてきた。
今日はクリスマスイブ。たくさんのカップルや家族連れでにぎわっている。カラフルなイルミネーションが、ビルを飾っていた。
もうあと4qというところで、トイレに行きたくなった。
仕方なくコンビニに入り、トイレに並んだが、先客は一向に出てこない。5分経過しても出てくる気配もないので、待ちきれずに店を出てしまった。
イライラが重なり焦ってきた。そして、自分の出で立ちもかえりみず、確実にトイレに入ろうとデパートに入っていった。
上下レインコート、ヘッドランプにリュック、軍手をした汗くさい男が、暖房の効いたフロアを歩き、優雅にエスカレーターでトイレに向かった。もう恥も外聞もない!。
広くて清潔なトイレで幸せな気分を感じた。
暖房が効いた店内は、とにかく暖かくて幸せだった。

 すっきりした私は、再び店を出て、夜の繁華街を走り始めた。
ここで最後の地図が終わり、一番最初の地図になる。
ただ真っ直ぐに走れば、左手に駅が見えてくるはずだったが、土地勘のない私は、地図を見ようと最初の地図を探し始めた。
だが、ない!何度見返しても見つからない。落とした記憶はないし、枚数はちゃんと揃っていた。
もう気持ちに余裕はなかった。近くの公園で地べたに座り、地図を広げて、1枚1枚めくり始めた。2回繰り返して、やっと1枚目の地図を見つけた。「これでゴールできる」そう思って地図を眺めた。
が、今度は自分がいるところが分からない。
仕方なく地図を握りしめたまま走り始めた。少し行くと、現在位置を確認できた。西大津駅の、もう目と鼻の先にいた。
それでも判断力の落ちた自分に腹が立ち、益々、気持ちは焦ってきた。持っている地図をコンビニのゴミ箱に投げ捨ててしまった。
確かにもう要らないのだが、やっていることと思っていることが、違っていた。
この距離でも、なぜかまだ到着できないかもしれないと本気でそう思った。国道から脇道へ左に曲がった。もうすぐそこに、駅があるのに、自分で分かるのに時間が掛かった。
ゴールの瞬間を噛みしめながらではなく、気が付いたらそこに立っていた。
午後6時33分、昨日の朝出発した西大津駅に帰ってきた。
34時間16分後のことだった。
駅前でしばらく呆然としていたが、F子さんからゴールしたとメールが届き、私もゴールを知らせた。不思議と同じくらいの時間だった。

 ご夫妻が乗った電車を、ホームのベンチで待つ間、眠らないようにするのに苦労した。30分後、近江今津からIさんご夫妻が電車で西大津に到着した。
私も乗り込み京都駅まで2駅の間、琵琶湖1周の成功を喜びあった。
嬉しいのだが、まだ実感は薄かったように思う。
数分後、京都駅に降り立った。
京都のまちもクリスマス一色だった。暖かなクリスマスだった。














 「走り終えて・・・」
 
 今回の琵琶湖1周は、ただ「走ってみたい」という気持ちから始まり、それが全てだったように思う。
人に会うと、「どうしてやったのか?」「何がそうさせたのか?」など聞かれたが、ただ「走ってみたかった」のだと思う。
それと今回、仲間がいながら一緒に走らなかったのは、Iご夫妻の配慮。これだけの長さになると、ペースの違いや調子の善し悪しで、共倒れするかもしれない。自分が行けるときに、相手に合わせたり、
自分が辛い時間帯に無理矢理着いていったりするのはかなりの負担になるだろう。もちろん一緒の方が、励まし合えるし、声もかけられるので心強いが、甘えたり、頼ったりし始めると、いつか感情的になるものだ。そんな気遣いから、別々に走ることになった。
そうして頂いて、よかったと思っている。

 後日、Iご夫妻と再会した。その際、F子さんは、琵琶湖は、萩の鯨墓がずっと続いているくらい辛かったので、もうしたくないと
思ったが、日を追うごとに「また行ってみたい」と思ったそうだ。
実はぼくも同じで、年中行事にしますか?などと興じた。
あながち冗談ではなさそうだった。

 振り返ってみて、確かに辛く、しんどい事はたくさんあったが、印象に残っているのは、楽しい思い出ばかり。勝手なものだ。
やはりまた次の年もいくのだろうか?そんな気がする。
琵琶湖1周を達成した数日後、仕事で琵琶湖にやってきた。
大津市にある琵琶湖文化館の展望台から、琵琶湖を眺めた。

琵琶湖がこれまでよりも、少しだけ身近に感じられた。



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